散歩は全クラスでなくていい 100年前に倉橋惣三が書いていました
園の外に出る保育を、倉橋惣三は1926年の『幼稚園雑草』で「園外保育」と呼び、全園で出かけなければならないと思われているのは誤りで、組ごとが原則だと書いています。無理をしてまでするのはかえってよくない、とも。都会の園が外で補うしかない事情は、いまの省令の条文にも残っています。原典を国立国会図書館で読みました。
カテゴリ / 保育の歴史
保育の制度や考え方が、どこから来たのか。過去の文献を原典で読み、いまとの距離を測ります。
園の外に出る保育を、倉橋惣三は1926年の『幼稚園雑草』で「園外保育」と呼び、全園で出かけなければならないと思われているのは誤りで、組ごとが原則だと書いています。無理をしてまでするのはかえってよくない、とも。都会の園が外で補うしかない事情は、いまの省令の条文にも残っています。原典を国立国会図書館で読みました。
用意した絵本やお話と、ふとした会話。倉橋惣三は1926年に、後者を「個人対話」と名づけ、用意してするおはなしに必ずしも劣らない教育価値をもつと書いています。しかも、なんでもないことのようで相当に難しいとも。原典を国立国会図書館で読みました。
幼稚園と小学校をどうつなぐか。1926年の『幼稚園雑草』に、いまとほとんど同じ議論が載っています。「小学校の準備ではない」と言いたくなる気持ちも、実際にはつながっているという事実も。倉橋惣三が挙げたつなぎ方は2つで、彼が選んだのは「内的の結び付け」でした。
今日の保育に意味があったのかどうか、手応えが返ってこない。この感覚は新しいものではありません。倉橋惣三は1926年に、保育の仕事は「手答へ」において最も弱い性質のものだと書いています。外から見た2つの誤解と、熱心な人ほどこたえる理由まで、原典から読みました。
幼稚園を作ったフレーベルは、教育者になるようには教えられていません。学んだのは植物学、鉱物学、土地測量。倉橋惣三は1926年の『幼稚園雑草』で、彼を「発達の真意義に最強く憧憬した人」と書きました。生い立ちが学説の長所と短所の両方をつくった、という見方まで書かれています。
研修や養成校で名前は出るのに、何を書いた人かはあまり語られません。1926年の『幼稚園雑草』を読むと、幼児教育の第一義は幼児生活の価値を知ること、と言い切っています。フレーベルへの率直な批評も、恩物という言葉への苦言も入っていました。原典は国立国会図書館で誰でも読めます。