保育の歴史

手応えが無いのは仕事の性質です 倉橋惣三が100年前に書いています

今日の保育に意味があったのかどうか、手応えが返ってこない。この感覚は、新しいものではありません。

倉橋惣三が1926年の『幼稚園雑草』に「幼稚園保姆」という章を書いています。保育の仕事が外からどう見られ、中でどう感じられているかを扱ったものです。

引用は漢字を新字体に改め、仮名遣いは原文のままにしています。送り仮名も今とは違います。原文で繰り返しの記号になっているところは、「なかなか」のように仮名で書き直しました。

外からの見方は、2つに割れていました

章は、当時の世間が描く保育者像から始まります。かなり長い戯画です。

要するに玩具と歌と遊びとで子供と一しよに笑つてさへ居ればよいのである。

その反対側も書かれています。

そうかと思ふとまた一方には之れと正反対に、いやだいやだ、年が年中子供のお守りばかりして、あんな世話のやける、小面倒な、うるさい仕事は、死んでもいやだといふ人がある。そういふ人から見た保姆の仕事は、世にも一番骨が折れて、気が疲れて、而して要するにくだらない苦労一方の仕事なのである。

気楽で楽しい仕事か、くだらない苦労だけの仕事か。100年前から、この2つの間で見られていました。

当事者は「つらい」とは言いません

倉橋は、まず当人に聞いています。

保姆その人に訊ねて見たらば、其の仕事をつらいもののいやなものだと言ふ人は一人も無い。しかし、保姆の仕事は局外の人が表面から見るように、気楽一方、面白一方のものでは決してない。

毎日であることを、繰り返し書きます。

一生懸命子供の相手は誰れにも面白いものである。しかし其れが毎日である。 日々々々繰りかへされて居るのである。退屈まぎれにたゞ一寸子供と遊ぶ時の面白さを以て、保姆の仕事としての遊びを律し得る訳のものではない。

(「幼稚園保姆」291〜293ページ/原典のコマ159〜160)

手応えが無い、と書いています

この章でいちばん鋭いのがここです。

保姆の仕事は此の「手答へ」なるものに於て最も弱い性質のものである。

学校と比べて説明します。

日々その時々に、之れだけ遊んだから、子供に之れだけの利益があつたといふ風の手答へは全くないのである。之れが学校の教育となれば、如何に下級であるとしても、読本を一枚教へた、九九を一つ覚えさせた処に、目に見えた結果が現れて居る。保育の仕事では、それさへ少しも得られないのである。

そして、そこから何が起きるかも書いています。

極端にいへば、こうやつて毎日々々して居ることが、果して如何に効験のあることか、疑ひ出したら分らなくなるものである。

この構造が誰にいちばん刺さるかも、はっきりしています。

自分の仕事に手答へのほしいのは誰れでも同じであるが、若い者には殊にそれが強い。 それも仕事に無責任な呑気家なら兎に角く、熱心家誠実家であるだけ、仕事に手答へがほしいものである。 身を砕いても手答へのあることがし度いといふが熱心家の心理である。

熱心な人ほどこたえる、という順序になっています。力量の問題ではなく、仕事の性質の側に置かれています。手応えを求めること自体は、いいかげんな人ではなく、真面目な人の側から出てくるものとして書かれています。

そのうえで、毎日がどう見えるかを書きます。

それが毎日同じように、積木を積んでは崩し、崩しては積んで居るのでは、結果を急ぐ血気の若い者には、如何にもまだるこしいことである。

積んでは崩し、崩しては積む。ここで話の向きが一度変わります。崩れるから積んだ意味が無かった、のではありません。保育はもともとその形をしている、という置き方です。

しかも保育といふことが本来斯ういふ性質のものであるとすれば、疑はず惑はず、急がず焦らず、一貫した努力を以て、毎日の「遊び」をつゞけて居なければならない。 これがなかなか以て容易なことでないのである。

「疑はず惑はず、急がず焦らず」と並べておいて、最後に「これがなかなか容易なことではない」と付け足します。やれと言ったあとで、それが難しいことも認めています。 精神論で締めていません。

365日、機嫌よく

体の疲れや気苦労は「外からも分ること」として脇に置いたうえで、外から見えない部分をこう書きます。

心に悲しいこと、つらいことがあつても三百六十五日機嫌よく子供といつしよに笑つて居なければならぬ、教育と言つても、其日其日には殆ど何の手答へのない様のことに、しかも熱心に一生懸命で子供と遊んで居なければならぬ、此の執れかで、保姆の心は人知れぬ苦悩になやむことが時々ある。

いま「感情労働」と呼ばれているものが、そのまま書かれています。

(「幼稚園保姆」293〜295ページ/原典のコマ160〜161)

ねぎらいも、外からは測れない

続く「保姆の慰勞」という節も、同じ構造で書かれています。

何事も真の苦労は局外からは分らないが、真の慰労も局外からは測られぬものである。局外から分る様な苦労はらくな方の苦労である。局外から測り得られる様な慰労は、浅い慰労に過ぎぬことが多い。

「御苦労でした、先づ御茶を一つ」という類のねぎらいも、確かに大きな慰労だとしたうえで、それは仕事から見て間接のものだ、と位置づけています。

それでも、中心に置かれているのは人です

同じ本に「保姆その人」という章があります。幼稚園教育を成り立たせる要素を並べるところから始まります。

吾人は時にその一面を挙げ、一作用を捉へて、その大切なるを説く。或は制度に重きを置いて論ずることもある。或は方法の研究の要を説くに専らなることもある。特に幼稚園教育に於て、設備の貴重なる所以を極論することもある。

制度、方法、設備、そして子ども同士の関わり。どれも欠かせないと認めたうえで、順番をはっきりさせます。

あるが故に、他の諸作用が始めて教育的に活きて来るものは——それ無ければ、他の諸作用のすべてが、教育的に死するものは——更めていふ迄もなく、保姆その人である。

比喩まで置いています。

人を外にして、其の他の条件で教育を完うして行かうとするのは、射手のない弓で鳥を射んとし、弾き手なしの琴から、音楽を聴こうとするよりも無理なことである。なくてならぬものは人である。保姆その人である。

手応えが返らない仕事だと書いた同じ人が、同じ本の中で、その仕事を中心に置いています。 どちらか一方ではありません。

(「保姆その人」301〜302ページ/原典のコマ164〜165)

100年たっても同じでした

この章を読んで分かるのは、いま感じていることの多くが、制度や時代のせいではなかったということです。

  • 外からは「子どもと遊んでいるだけ」に見える
  • 当人に聞けば「つらい」とは言わない
  • しかし手応えが返らない
  • 熱心な人ほど、そこでこたえる
  • そのうえで、疑わず焦らず続けるほかない、それは容易ではない、とも書いてある

100年前と同じ形で書かれています。手応えが無いのは、力量の問題ではなく仕事の性質だと、当時からそう整理されていました。そのうえで、制度も方法も設備も、人がいなければ教育的に死ぬ、とも書かれています。

手応えが返ってこない日に読むものとしては、1926年の本が思っていたより役に立ちます。

原典は国立国会図書館デジタルコレクションで誰でも読めます。「幼稚園保姆」は291ページから、コマ159以降です。

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