保育の歴史

散歩は全クラスでなくていい 100年前に倉橋惣三が書いていました

散歩の日は、準備だけで一仕事です。人数を数えて、帽子をかぶせて、列を組んで、戻ったらまた数える。全クラスで出るとなれば、なおさらです。

倉橋惣三は1926年の『幼稚園雑草』に「園外保育」という章を書いています。212ページから220ページまでの9ページで、園の外に出る保育を、全園でやらなければならないと思われているのは誤りだ、とはっきり書いています。

引用は漢字を新字体に改め、仮名遣いは原文のままにしています。原文で繰り返しの記号になっているところは仮名で書き直しました。

「園外保育」は広く取ってよい

章は、言葉の定義から始まります。

園外保育は、文字の示す通り、保育の場所及び手段を幼稚園内に限らず園の外にまで拡張するといふ意味である。従つて最も広義の内容を有するものであつて、斯く斯くすることのみが園外保育であるといふ様に狭く限らるゝものではない。

遠足のような行事に限らず、近所に出ることも含めて広く考えておくほうがよい、という立場です。そのうえで倉橋は、園外保育を目的・回数・やり方の3つの軸で分けていきます。

都会の園は、外に出て補うしかない

目的には「消極的」と「積極的」の2つがある、と倉橋は書きます。消極的というのは、園の中だけでは足りないものを補うために出ることです。

消極的といふのは、幼稚園の位置、広さ、設備等の関係から、日光及び新鮮の空気の充分といふ点に欠けて居るとか、自由の遊戯活動の余地に乏しいとかいふ欠陥を補ふために、園外適宜の場所へ引率して行くといふのである。

「消極的」と呼んでも、軽く見てはいけないと続けます。

但し、消極的と呼ぶ故を以て、此の必要を軽視してはならない。殊に都会幼稚園の大多数に於て、此の必要の無いといはるゝ処が、果して幾つあらうか。

この事情は、いまの制度にもそのまま残っています。保育所の設備のルールを定めた厚生省令(設備運営基準)の第32条です。

満二歳以上の幼児を入所させる保育所には、保育室又は遊戯室、屋外遊戯場(保育所の付近にある屋外遊戯場に代わるべき場所を含む。)、調理室及び便所を設けること。

園庭が取れなくても、近くの公園などを「屋外遊戯場に代わるべき場所」にできる。100年前の倉橋が「補ふ」と書いた外出は、いまの園庭のない園では、省令の上でも園庭の代わりとして位置づけられています。

親が休日に子どもを連れ出すのと同じこと

もう1つの「積極的」な目的は、園の中では出会えないものに触れることです。動物園、停車場、近所の神社や金魚屋でもいい、と倉橋は書きます。そして、こうまとめます。

園外保育といふては事々しくも聞えるが、つまり心ある家庭の親が日曜休日を利用して子供を外につれて出ることを幼稚園がするだけのことである。そしてそれが極めて有効なことで又至当なことである。

大げさな行事ではなく、家庭でもやっていることを園がする。それだけのことだ、という書き方です。

全園で出るのは「特別のこと」

いちばん具体的なのは、やり方についての節です。

第三に、実行の方法から見れば、全園で行ふのと、組毎に行ふのと、組を更に小分して行ふのと、全園を二つ乃至三つに区分して行ふのとに分類せられる。

そのうえで、こう書いています。

園外保育といへば全園でしなければならない様に、往々考へられて居るのは誤りである。その為に園外保育の実行をどの位妨げて居るか分らない。しかも、全園で行ふのは寧ろ特別のことであつて、原則ともいふべきは、組毎にするのが最も適宜にして、又効果が多い。

1組の人数が多すぎれば、さらに小分けにしたほうがよいこともある、とも続けています。学校の遠足や修学旅行のように、全員そろって出かけなければならないものではない、と。

全員で出ようとするから出られなくなる。 倉橋が1926年に指摘したのは、その順番です。

神戸の園は、半分ずつ隔日で山に出ていた

章の後半は、神戸幼稚園の参観記です。園児を年長と年少の半分ずつに分け、隔日ごとに公園や山へ連れて出ていました。倉橋が同行した日は、前の晩の雨で山道がぬれていましたが、子どもたちは「普通の町の道を歩くと同じ平気さで」坂を上っていったと書かれています。

目的地の草地に着くと、子どもたちは思い思いに散っていきます。

早速銘々の活溌な自由行動に移つて、草をとるもの、花を集めるもの、小松原の中へと突進してゆくもの、笑ひ興じて馳け廻るもの、それが一幅の画図をなしてわれわれの眼に映じて来る、私は始めて斯ういふ光景を見た。

保姆たちは、その場所の植物の名前を前もって専門家に聞いておき、子どもの質問に答えられるようにしていた、とも書かれています。

それでも「無理をしてまですることはない」

ただし倉橋は、神戸と同じことをどの園にも求めてはいません。章の最後の段落です。

私は此の通りのことを、どこの幼稚園にも望み得べきものだとは思つて居ない。又、此の通りに行はれなければならないといふことも少しもない。

度数は多い方がよいに違ゐないけれども、無理をしてまですることは却つてよくあるまい。

そして、章はこう結ばれます。

持つて来ることの出来ない幸福は、出掛けて居つて取るべきである。

園の中に持ってこられないものは、外に取りに行けばいい。ただし、できる範囲で。回数や遠さを競うものではない、ということです。

明日、確かめられること

  1. 散歩を「全クラス一緒に」にしていないか見直す。 倉橋は全園で出るのを「寧ろ特別のこと」とし、組ごと、さらに小分けにすることを勧めています
  2. 園庭がない園なら、どの公園が園の「屋外遊戯場に代わるべき場所」になっているか聞いてみる。 散歩先が、省令上は園庭の代わりという位置づけになっていることがあります
  3. 回数より、計画に入っているかを見る。 倉橋は、思いついたときに出るだけでは一度も行かない時期が出てしまうとして「少くとも計画的に行はるゝことにしたい」と書いています
  4. 無理な日は出なくていいと考える。 「無理をしてまですることは却つてよくあるまい」は、100年前の園外保育の章の結論です

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